2014年06月22日

穴子と羽田の歴史

料理屋へ行くと、決まってカウンター席に座るようにしています。お店のオーナーと話をすることを理由に。昨日初めて行った料理屋はカウンター席がメインだったためか、そこに座らざるを得なかったのですが、やっぱりついたのはカウンターの席でした。

ずっとだんまりしていたオーナーさんが、ふとしたきっかけで口を開いてくれる──それを嬉しく感じることがあります。昨日も例外ではありませんでした。ユーモアに富んだおじちゃんの人柄に引き込まれ、また話の内容もとても興味深く強く印象に残っています。

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その料理屋『和加松』は、京浜急行空港線の京急蒲田駅から歩いてすぐそばのところにあり、穴子が売りの老舗です。羽田生まれ、羽田育ちのおじちゃんと、奥さんの夫婦で切り盛りしてもう40年以上。そのずっと前から羽田界隈を見続けてきたおじちゃんの話は初めて聞くことだらけで、ただ目を見張るばかりでした。

戦時中の空戦から、まだ米軍の管理下だった羽田空港など、おじちゃんは当時の羽田を思い出しているのか目を細め、ガハガハ笑っていました。当時子供だったおじちゃんは色んな遊びをしてきたといいます。羽田空港がまだ現在の旧整備場地区にあった頃のこと。その周辺はボーリング場や映画館で栄え、教会が建ち、将校クラブには外車が行き来していたようす。それから、鴨猟場、海水浴場や競馬場など、今からは考えられない光景です。

穴守稲荷神社の門前には温泉旅館が建ち、そこで芸者さんが観光客を楽しませ賑わいを見せていたとか。当時は敬虔な信者として神社へ参拝していたのではなく、一種のリゾートのようだったと言います。それから、当時空港ターミナルへ入るために必要だった入場票のことや、飛行機に乗って操縦させてもらったことなど、遠い昔のことを語るおじちゃん、楽しそうだったなぁ。私も昭和の古き良き時代の羽田空港へ行ってみたい──と望んでも実現するわけはなく、またおじちゃんのお店へ行って聞くしかないようです。

それにしても、穴子が美味しかった。穴子の肝、穴子の白焼き、穴子の骨せんべい、それから穴子にぎりまでも全てが絶品。次は何にしようかと壁に貼られたメニューを眺めていると、あれ?──穴が空いてる。背景が黒くて気づきませんでしたが、5つ穴が空いた●●●●●丼、今度注文してみたいと思います。


posted by Amelia at 19:15| Comment(0) | 羽田空港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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